誰かを否定した分だけまわりまわって自分が誰かから否定される。否定的なことを言うのをやめよう。

(瀧澤氏のやりたいことは投稿を始めて十年来変わっていなくて「きっかけになってくれたらな」というものだ。学校とか仕事とか誰だって何かしら抱えているわけで、たいていそれは逃げられないか受け止めるしかない、乗り越えるしかないものだ。そんななかで氏の動画を見たときに「氏は楽しそうにやっているから、氏も頑張っているから、俺も頑張ろう」なんて言うきっかけになってほしい。だからこういう動画も出すよ)

 

 

 

1.欲しいファンと欲しくないファンがいる。ほしいファンは何かするときに応援してくれるが、欲しくないファンには足止めされたりする。2010年ごろの自分のwebsite掲示板はpiecefulに流れていた。あるとき来た少年が、曲解やつっかかりが多い子だった。みんなが無視するようになって男の子が掲示板で訴えた。掲示板の何人かが直接メールで伝え方などを諭してあげた。掲示板で少年が謝って掲示板の人たちもごめんねと。みんながわらわらと。その数か月後にその男の子も含めてみんなで集まってセッションしてカラオケして飲みに行たったりすることがあった。当時はわからなかったら今ではわかる。

 


2010年当時自分がやってきたメルマガや動画のノウハウをある知り合いに伝授した。その人も掲示板を作ったが盛り上がらなくて変な人がぼちぼち集まっていた。とことで翌年瀧澤氏は手作りのDVD教則本を作った。そこで知り合いにも勧めたら乗り気になったが掲示板で教則本の製作需要を聞いてみたところ、「今まであれだけ音楽学校や情報商材を否定してきたのによくやれますね」というレスがあり、すべて事実がだったからその人もへこんで掲示板まで占めることになった。当時は彼がそうなったのに自分が上手くいったのかわからなかったが、今ならわかる。

 

 

2.環境が一番怖い。マザーテレサの好きな名言で「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか人生になるから」。頭にないことは言葉に使用がないわけで、逆に言うと頭の中にあることは絶対言葉になる。言葉になるとそれに準じた行動につながる。その行動が続いて習慣になる。習慣になればずっとおこなうわけで、習慣は運命に直結することになる。そこに一行付け足させてもらうなら「~。行動に気をつけなさい。それはいつか環境になるから」。中高生の時、悪いことがかっこいいと思ったことはありませんか。バイクブンブンがかっこいいと思っていると、同じようにかっこいいと思っている集団・環境に属すことになる。朱に交わって環境に合せた自分になってしまう。終戦の自決だってそういう環境の教育思想を受けてそういう気持ちになってしまったわけだが、そんな環境がない僕らの価値観だとそれはおかしいだとうと思う。当時の人にやめたほうがいいといってもわからないだろうし理解してくれない。環境にいるから。でもバイクの人たちも軍人の人たちも環境や自分の変化に晒されるとあるとき「ほんとにバイクブンブンかっこいいのかなダサくないかな」と気づくときが来るはず。環境にいるとなかなか気づけない。気づいても環境からなかなか抜け出せなかったり、周りの人に「バイクブンブンする人だから」とレッテルを張られていたり。自分の属する環境にも気を付けたほうがいいわけだが、自分の行動が自分の環境と作ることもあるよね。否定するコンテンツをアップロードすると否定する文化のある人が集まってくる。あら捜しする人も出てくる。

 

 

3.言葉にすると安っぽくなってしまうが「愛を持つ努力をしましょう」。そもそも誰かを否定したり見下したりするのは自分が満たされていないからだ。自動車を買うときに借金することはあっても、水がない一週間何も食べれなくて餓死してしまうなんてことは日本では難しい。目の前に一万円札が落ちていたら、奪ったりすることにまではつながらない。満たされているから。御飯も水もなくて母が病気していてとかだったらすぐに盗もうとなる。戦争も安全が保障されていなくて満たされていなかったらお金や資源や人員を奪って補填してきたわけだが、今では先祖が戦争はよくないと気付いているから僕らは反対するし、安全は保証されていて満たされているから戦争にはつながらない。自分自身の気持ちが愛で満たされているなら、感情・気持ち・愛を奪う必要は生じないよね。持ててなくても持とうとすることはできるはず。二週間前にあったことで、店から帰りで相模原駅のホームに立っていて、スマホをポチポチしたりしていたわけだがホームにおじいちゃんが落ちていた。四人ぐらいが気付いて一人が防犯ベルを鳴らして、一人が駅員さんを呼んできて、我々二人はおじいちゃんに大丈夫ですかと。おじいちゃんが立ち上がって二人で引っ張り上げて。線路にある岩に後頭部をぶつけていておじいちゃんが血を流しているし、作業員の名札をしているわけだけれど。大丈夫~?「歩いて帰れる!全然だめだから大丈夫!!!」(言ってない?)。水を買って来たが飲まなかったり。そこで救出に関わった人とかかわらなかった人(関われなかった人)がいて、どっちが良いとかは言えないが僕は関わる人でありたい。日ごろから困っている人が居たら助けるようにしようという気持ちでいることはできる。ひけらかさなくても、今日はこういう人間であれたなと思える。自分の価値観を作る経験になるし自分を満たすことにつながるような。おじいちゃんをたすけなくたって、おばあちゃんの荷物が主そうだったり道ばあで物を落としているのを見たり、友達が困っていたり。そういう気持ちを持つようにしていれば行動も価値観も変わっていくだろうし、そうしていれば誰かから感情や気持ちを奪ったりすることは必要なくなると思う。だから持つ努力をしよう。

 

 

 

 

 

去年、駅前を歩いてた時に「リュックがあいてますよ」と通り際に教えてくれた人が親切で素敵な人だなぁと思った。私は冷たい気持ちの生活になっていきがちだが、困っている人がいたら助けてあげたい温度感を手放さないように緒を締めなおしていれば有事の時に助けられるかなぁ。